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韓国 キリスト教の歴史

朝鮮人ではじめてクリスチャンになったのは、ジュリアおたあと言われている。
文禄・慶長の役において、キリシタン大名小西行長により、朝鮮人の娘を養女とした。それがジュリアおたあである。
彼女は小西行長にならって洗礼を受けた。



朝鮮に本格的にキリスト教信者が出たのは約220年前。



1631年  李氏朝鮮では、朝貢使節団によって中国経由でキリスト教に関する書籍(『天主実義』)などが輸入された。
       (北京には、マテオ・リッチが創設したイエズス会があった。)

1777年頃 『天主実義』を研究した学者たちの中からイエスを信じるキリスト教徒の共同体が形成されていたという。
       これら信徒は司祭の布教無しに私的にキリスト教を信仰していた。

1784年 朝鮮史上初のキリスト教礼拝所は、李承薫(イ・スンフン)(北京で受洗)が平壌で設立。ソウルでも集会を行った。

イエズス会宣教師らが北京を経て朝鮮北部に入り、カトリックの宣教を行った。

1845年 金大建(キム・デゴン)が上海で朝鮮最初の司祭になって帰国し、布教を始めた。
    当時、儒教社会であったため、、カトリックは邪教とされ弾圧された。

1846年 金大建は、巡威島において外国人宣教師密航計画を進めていたため、捕縛され、
    信者103人とともに棄教を拒否し、処刑された。


1865年 ロバート・トマスは朝鮮で最初のプロテスタント殉教者である。

1866年 密入国していたフランス人司祭9名と、カトリック信徒約8,000名が捕縛・処刑された。
    フランスは朝鮮を攻撃したが、朝鮮軍によって撃退された。(丙寅洋擾)
    その後も、カトリック信者は続いてその信仰を守った。


1866年大同江に沿って平壌に入ろうとしたので、ジェネラル・シャーマンという名のアメリカの商業船は沈められた。
    これはジェネラル・シャーマン号事件と呼ばれている。
    韓国に派遣された英国のプロテスタントの宣教師を含めて、全ての船員は戦闘において死亡した。
    宣教師が一人、何とか岸に着くことが出来た。
    彼は中国語に翻訳された聖書を持っていて、彼はそれを死亡する前に韓国の兵士達に手渡した。これが、
    朝鮮に聖書が初めてもちこまれた。(漢文の聖書)


1884年 朝鮮に初めて建設されたプロテスタントの教会堂・ソレ教会(松川教会、黄海南道龍淵郡)。

    朝鮮の開国によって欧米諸国との外交関係が樹立されると、プロテスタント諸派が朝鮮に宣教師を派遣した。

1884年 プロテスタントの宣教師で定住して行った布教は、メソジスト派と長老派の宣教師によって始められた。

1885年 長老派は少年向けの培材学堂(高宗より名前を賜る)

1886年 メソジスト派は少女向けの梨花学堂を創設(高宗より名前を賜る)

1887年 朝鮮語による聖書の翻訳はスコットランド長老会の宣教師ジョン・ロスが満州で出会った朝鮮人と協力して奉天の東関教会で
      翻訳したのが初めてである。(イエス聖敎全書)
      1887年にシンガポールで印刷後に朝鮮半島に送った。
      当時朝鮮は厳しい鎖国政策をとっていたため、外国人宣教師の入国はゆるされず、 ロスは満州で福音をつたえた。
      イエス聖敎全書は平安道方言による翻訳、また、朝鮮国外で翻訳されたことが特徴。


1895年 春生門事件で、宣教師は朝鮮王を守った。徐々に朝鮮のキリスト教は民族性と結びついていった。

1903~1908年 韓国キリスト教のリバイバル(信仰復興)が起こった。

1907年 R・A・ハーディーら宣教師の聖書研究会によって、信仰復興は広まった。

1900年 李承晩(後に大韓民国臨時政府を主導した)は投獄中のにメソジスト派に改宗した。

1910年 日韓併合の後、朝鮮総督府は、日本基督教会の指導者植村正久に朝鮮宣教を断られたため、日本組合基督教会の指導者海老名弾正に朝鮮宣教を命じた。

1910年10月 日本組合基督教会は、「朝鮮人伝道」を決議し、渡瀬常吉を派遣。
      日本組合基督教会は朝鮮総督府より莫大な資金援助を受けて朝鮮植民地伝道を繰り広げる。


1919年 三・一独立運動ではキリスト教徒が主要な役割を果たした。逮捕された柳寛順は梨花学堂の学生である。

1937年 盧溝橋事件以降、朝鮮総督府は、キリスト教会への神社参拝を強要した。

    
1938年 朝鮮の長老派の一部の篤実な信徒が神社参拝を拒んでいたため、日本政府は同じ長老派系統の日本基督教会大会議長富田満を派遣し、
    朱基徹牧師ら朝鮮の長老派を説得させた 。
    朱基徹は「神社参拝は十戒に反する偶像崇拝」だと答えた。4度投獄され、5年間獄中生活をした。
1944年 朱基徹は神社参拝を拒否し殺害された。

    日韓併合下での抗日運動はプロテスタント教会を中心に行われた。


1945年  日本の敗戦後、信教の自由が保障され、韓国全土にプロテスタントが広がった。


1950年6月25日 - 1953年7月27日 朝鮮戦争
      朝鮮戦争後、韓国人の間でキリスト教は大いに広まった。
      理由のひとつは、北朝鮮から多くのカトリック信者が韓国に逃れてきたため。
      第2に、朝鮮戦争中、ブリキや木片で十字架を作って首から掛けることで、国連軍(とりわけ米国軍)の庇護を受けることが出来た。
      そのようなことが、朝鮮戦争後の、キリスト教の発展のきっかけになった。

1961年 - 1963年 朴正煕政権の軍事独裁期には、キリスト教会が反独裁運動の重要な拠点となった。
      

1970年代~80年代 キリスト教は民主化運動の原動力となる。
          金大中を支援し共闘した天主教正義具現司祭団などが挙げられる。
          仏教寺院や仏像に対する破壊活動を行う牧師や信徒が出るなど、他宗教への攻撃も積極的に行った。 



韓国の大学

高麗大学 前身は1905年に設立された「普成専門学校」で、金性洙により、1946年に総合大学として創設された。
    早稲田大学と姉妹校の関係である。
    完全に韓国人によって設立された

ソウル大学校 日本統治時代の京城帝国大学

延世大学校 アメリカ人によって設立されたキリスト教系大学を起源

梨花女子大学校  
 1886年 - 米国のメソジスト派宣教師が韓国人女子教育の塾を設立。最初の学生は1名。
 1887年 - 大韓帝国初代皇帝(李氏朝鮮王朝第26代国王)高宗により「梨花學堂」と命名。
 1919年 - 三・一独立運動で梨花學堂の柳寛順が逮捕投獄される。
 1925年 - 朝鮮総督府から「梨花女子専門學校」として認可。
家庭連合(統一教会)の梨花女子大女子大事件も有名。

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
(聖書 コリントI 13章4節~7節)